土地と官職

それをやってくれると、たとえば源頼朝のような「主人」は、その死んだ武士の、残された家族などが所属する「家」にごほうびを与えて報いる。具体的には土地を与えることになるわけです。

そうしたかたちで築き上げられたものが武士の主従制。この関係が全国の武士と頼朝との間に設定されることによって、頼朝は武家社会のトップ、将軍として君臨することが可能になる。

しかし、本来この主従制は、必ずしも頼朝とだけ結ぶ必要はない。たとえば平清盛と結んでもいい。だからこそ頼朝は、自分だけがトップに立つために平家を滅ぼしたわけです。

平家だけではなく、関東においては源氏の名門として自分の対抗馬になり得る常陸(今の茨城県)の佐竹を滅ぼし、また、どうも自分に対して従属する姿勢を見せない上野(今の群馬県)の新田をたたく。実際、このあと新田は鎌倉時代を通じて冷やめしを食わされることになります。

自分と立場が変わることができる存在を滅ぼすか、屈服させるかして、全国の武士との間に主従制を設定していく。そうした事業を頼朝は行っていたのです。

武士は土地と官職を欲するそのときにごほうびになるものは、先に述べたように土地です。なんと言っても武士にとって土地が最高のごほうび。

というのは、土地は不動産というぐらいで、品物や物品のような動産ではないわけです。動産は、いつかは必ず壊れて、失われる。ところが不動産は手当てさえきちんと行えば、ずっと実りを約束してくれる永遠の財産。だから土地は最高のほうびになる。

ところが実はもうひとつ、土地と並ぶぐらい武士にとっては欲しいものがあった。それが官職です。