当時の越後の国では米が取れなかった

謙信の関東進出については、また別の説もあります。

たとえば立教大学の名誉教授だった藤木久志先生が提起した「越後国が貧しかったため、謙信は略奪を行うべく関東へ進出していた」という説です。この説はセンセーショナルな話題を獲得しました。

『「失敗」の日本史』(本郷和人:著/中公新書ラクレ)

しかし群馬が大変に豊かな土地で米が豊富に収穫できた、という歴史を持っていたのならいいですが、当時の群馬にわざわざ赴いて、新潟に帰ってみんなで食べあえるほどの食料を奪うことはできたのでしょうか。

なお越後の国は当時、米があまり取れませんでした。新潟はコシヒカリを名産とする”米どころ”というイメージがありますが、江戸末期には100万石の石高があったものの、江戸初期には35万石しか取れていません。

なぜかと言えば、米は基本的に寒さに弱いので、雪対策がきちんとできるようになるまで、生産量が上がらなかったのです。