2023年に放映された大河ドラマ『どうする家康』。家康は当時としてはかなりの長寿と言える75歳でこの世を去っています。「家康が一般的な戦国武将のように50歳前後で死んでいたら、日本は大きく変わっていた」と話すのが東京大学史料編纂所・本郷和人先生です。歴史学に“もしも”がないのが常識とは言え「あの時失敗していたら」「失敗していなければ」歴史が大きく変わっていたと思われる事象は多く存在するそう。その意味で「北条氏政のある失敗」が歴史に与えた影響は絶大だったそうで――。
鎌倉時代と戦国時代の「北条氏」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれた鎌倉時代の北条氏は、もともと伊豆韮山の小さな武家でした。
それが頼朝について鎌倉に移り、頼朝の死後、幕府内部で抗争を繰り広げながら、まず武蔵国をがっちりと手に入れる。今で言う東京都と埼玉県です。そして相模国、今の神奈川県に地盤を築きました。
さらに勢力を伸ばして北に上がり、上野国、つまり群馬県を押さえる。
ここで群馬県近辺の路線図を考えていただきたいのですが、高崎では上越線と信越線に分かれています。つまり新潟に抜けるか、軽井沢を通過して長野に進出するかという方向が見えてくるわけですが、ここまで来たところで鎌倉北条氏は滅びてしまいます。つまり、この時の北条氏は房総半島には進出していません。
そちらには向かわず北に上がるわけですが、実は同じ経過を戦国時代の北条氏もたどっている。
戦国時代の北条氏は、後の北条氏ということで「後北条氏」と呼ばれますが、こちらも伊豆国韮山から出てきています。だから韮山城は最後まで後北条氏の城になるのですが、ただし、初代の早雲はもともと伊勢新九郎、後に伊勢宗瑞(そうずい)で、それが早雲、早雲庵と名乗っていただけ。
二代目の氏綱が小田原城を手に入れたあたりで「俺たちは韮山出身だし、同じ地域から出た北条姓を名乗ろう」となり、北条の名を称するようになったわけです。