父の器の大きさを知ったバスの車中
大学では教職課程をとってはいたものの、なんとなく自分には教師の世界は向いていない気がしていました。なので倉谷さんとの出会いがなかったとしても、教師になっていたかどうかはわかりません。反対にモデル業は面白く、『メンズノンノ』の創刊号のモデルに採用されるなど、頑張ったら頑張っただけ結果が出ました。僕としては、できれば大学卒業後もモデルの仕事を続けたいと考えていました。
それにはまず、父を説得しなくてはいけません。うちの父はごく普通のサラリーマンで、芸能の世界とは縁のない人です。奈良から仕送りして僕を大学に通わせてくれました。そんな父がモデルという、海のものとも山のものともつかない仕事を許すはずがないと思っていました。
そこで僕が考えたのが、この話を実家ではなく、バスに乗っている時に切り出すことでした。周囲に人がいる状況なら、父も僕を怒れないだろうと思ったのです。
バスの中で、恐る恐る話を切り出した僕に対する父の言葉はこうでした。「やりたいことがあるならいいじゃないか。好きなようにやればいい。問題にぶつかったら今まで勉強したことを使って判断すればいい」
父は、生まれてすぐの0歳の時に両親を亡くしています。ずっと苦労してきた人なので、自分の息子には安定した道を望んでいるだろうと勝手に思い込んでいたのです。それがそんなふうに言ってくれるなんて……。父の器の大きさを知るとともに、「自分は人間が小さいなあ」と大いに自分を恥じました。