「正直、『ビリー・バンバンは終わった。もう二度とステージに立てないだろう』と思いました」

解散後は、兄と疎遠になることもなく家族ぐるみで会っていました。ただお互いに仕事の話には触れず。でも、僕の体調を心配して訪ねてきた兄は、僕に「再結成しよう」と言ったんです。1日だけのイベント出演と言われたけど、自分から解散を申し出た手前、即答できなかった。

しばらく考えて僕から「よろしく」と頭を下げました。兄は度量が大きい人だから、何も言わず僕を受け入れてくれた。8年ぶりに2人で歌ったのですが、これが何の苦労もなくぴったりハモって。こうして84年に再結成。「自分の居場所はやはりここだ」と素直に思えました。母はビリー・バンバンの一番のファンだから、喜んでくれて嬉しかったです。

 

がんに脳出血……あきらめかけたが

再結成後、87年から焼酎「いいちこ」のCM曲で話題に。順調に歩み始めたが、孝さんは当時の事務所社長の連帯保証人だったため借金を被った。2014年にはともに大病を患う。

――毎月それなりの金額を返済して、悔しかったと思う。家族のために使うならともかく、赤の他人の尻ぬぐいだからね。でも、厳しいことを言うようだけど自分で責任をとるしかない。僕自身も放蕩に離婚……いろんなことをしてきましたからね、自分にもそう言い聞かせてきました。

病気になったのは僕が先です。2014年5月、検査で盲腸にがんが見つかったらステージIIIまで進行していました。開腹手術の前に息子たちが来てくれて、これで最後かもと思いましたが、幸い手術は成功。兄が脳出血に倒れたのは、その2ヵ月後です。