「姉君」との別れ

ともあれ、それほど慕っていた「姉君」とも別れのときが来ます。

紫式部は父・為時の赴任に伴い、みずからも越前へ向かいます。同じころ、「姉君」も肥前(ひぜん)の国に向かうことになり、じつに、その遠方の地で生命(いのち)を失ってしまうのです。

別れにあたり、ここでも二人は歌をかわしています。

「姉なりし人亡くなり、又、人の妹(おとと)うしなひたるが、かたみに行きあひて、亡きが代りに、思ひかはさんといひけり。文(ふみ)の上に、姉君と書き、中の君と書き通はしけるが、をのがじしとほき所へ行き別るるに、よそながら別れおしみて」(詞書(ことばがき))

北へ行く 雁(かり)のつばさに ことづてよ 雲の上がき 書き絶えずして

返しは、西の海の人なり。

行きめぐり 誰も都に かへる山 いつはたと聞く ほどのはるけさ

紫式部には、さらに大きな「出逢い」と「別れ」がつづいて起こりますが、まさに、「会うは別れのはじめ」なのではありましょう。

※本稿は、『紫式部の言い分』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。


紫式部の言い分』(著:岳真也/ワニブックス【PLUS】新書)

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