何かを「嫌だ」と感じることの半分は、「そんなものは無意味だ」という意識が入っている。しかしご遺体がなければ、解剖はできません。車で遺体を運び、ホルマリンを注入して浴槽で保管する作業からも、知ること、考えることはあった。

たとえば香典などの事務仕事でも、きっちり行うことによって、研究だけではわからないことをたくさん学んだと思います。

仕事でもなんでも、やらなきゃいけないことには意味がある。その意味は何かと考えて、どうしても必要だと思えば、それはもう好き嫌いの問題ではなく、やるしかないわけです。やっていくうちに、少しは好きになったり、面白がったりできるようになるのではないか。少なくとも僕は、そうやって仕事をしてきた気がします。

けれども、まあ、人間関係も含め大学の仕事に相当ストレスがあったのも確かでね。57歳で早期退官を決め、大学に行かなくていい朝を迎えたときは、嫌というほど空が青く明るく見えたし、女房は、毎日こんな空を見てきたのかと思ったものでした。(笑)

女房の幸せそうな時間ですか? 若いころから茶道に一生懸命です。傍から見ていて、茶道が身体を使った芸事であるとわかって面白い。畳の上で行うことの意味なども考えます。

茶碗は陶芸、掛軸は書や絵画といった美術にかかわるし、長く続けるほど奥が深いとわかってくるものでしょう。どこまで行っても終わりがないというのは、虫と同じで(笑)、幸福な趣味だと思います。

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