誰もが老いるけれど老い方は千差万別
樋口 私、自分が年をとってみてつくづく思うことがあります。それは、誰ひとりとして、同じ老い方の人はいないということ。誰の身にも老いがやってくることは平等と言えますが、その中身は実に千差万別なんですね。
歩くのもひと苦労という方もいれば、スタスタ歩けるけれど、もの忘れがひどくてという方もいます。
耳が遠くなってしまって電話ではうまく聞き取れないから「お手紙をくださいね」という友人がいたかと思えば、筆まめでちょくちょくお手紙をくれた方が「これからは電話でお話ししたい」と言うので、どうしたのと聞いたら、指が曲がりにくくなってしまいペンが持てないと。
同じ年代であっても、老い方はひとりひとり違っているんですね。年をとって同窓会に出てごらんなさい、まるで老いの不自由の見本市ですよ。
和田 個人差が大きいというのは、高齢期の最大の特徴ですね。10代の人に100メートルを走らせたら、速いか遅いかというタイムの差はありますが、だいたいの人は走り切れます。
ところが高齢になると、マラソンにチャレンジしている人がいたかと思えば、横断歩道を青信号で渡り切れないという人もいます。それどころか寝たきりの人もいます。人生のなかで、これほど個人差が出る時期はないというのが高齢期なんです。
樋口 ということは、年をとってからの生き方として、「人と比べてもしょうがない」ってことが言えると思うんです。日本人はわりと横並び志向で、目立つことをよしとしない傾向が強いと言われますが、高齢になったらもっと個を大事にしていいと思います。
85歳になったら人並みにボケようとか、90歳になったら寄る年波にヨボヨボになりたいなんて思う人はいないでしょ? 老い方は人それぞれ。だから、自分の老い方を受け入れて、その範囲のなかでどうしたら自分らしく生を全うできるかということが大事になると思うんです。