そんな心遣いができる人に、私もなりたい
ドラマ『作りたい女と食べたい女』シーズン2の話に戻る。私は会食恐怖症ではないし、当事者の方の苦しみが分かるなんて思わない。
ただ、南雲が「食べられない」がゆえに、ホームパーティーに参加していいのか、と戸惑うシーンは、既視感があった。
人前でご飯が食べられないのに参加していいのかな?と最初は戸惑っていた南雲に、ぜひ参加してほしいと言った春日。詳しい事情はわからなくても、腫れ物のように扱うでもなく、何も聞かずに一緒にいた矢子。みんな当たり前のことをしただけだと思っていそうだが、それがどれだけ南雲を救っただろう。
食べられない人が、みんなの中で浮かずに、引け目を感じずに、食事の場をともにすること。それが、どれほどすごいことで、意味のあることだろう。南雲と事情は違えど、私も食べられない人だったので、南雲が楽しそうにその場にいるシーンを見て、泣けて仕方がなかった。
事情はあっても、腫れ物のように扱って欲しくない。食べられなくても、ご飯の場にいたい。みんなと同じでいたい。みんなの輪に入りたい。私は当時、そう強く願っていた。
その後の南雲が会食恐怖症であることを打ち明けた際の対話で、矢子は「どうしてほしいとかある?」と聞く。この一言も、とても大事なものだと感じた。
“事情がある人”に対し、腫れ物のように扱わず、ただ普段通りそばにいて、もし、関係性ができ、相手から事情を打ち明けてくれることがあったら、「こうしてほしいとかある?」と聞く。そんな心遣いができる人に、私もなりたい。