お風呂は命の洗濯

今やっている仕事の内容で行き詰まっていたり
悩むこともある。
行き詰まった部分の絡まった糸を解くように
少しずつ分析してどこがからまり始めなのかを考える。

からまり始めの糸口が朧(おぼろ)げながら見えて
爪の先でほんの一ミリにも満たない糸の先をつまめたか?
って思った瞬間に話しかけられると私自身も
「あ、今捕まえたと思ったのに…」ってなるから

いつ話しかけていいかわからない。

だからそっとドアを閉めて部屋に戻る。

監督は湯船に浸かって茹で蛸(ゆでだこ)みたいになって
いろんなものが汗になって溢れて出て流れていくまで
お風呂から出てこない。

お風呂は命の洗濯よ、というミサトさんに
嫌なこと思い出すことの方が多い
とシンジくんは言っていた。

あれはどちらも真理ではないかと思うことがある。

湯船に浸かってぼーっとしていると忘れたと思っていた
記憶の中に沈んだ嫌なことや、失敗などが汚れみたいに浮かんでくる。
あまり辛いとそのまま飛び出してしまったりもするが
じっと見つめながらまた湯船に浸かる。
それすらも流れていってしまうほど長く温まって汗を出す。
それは確かに洗濯に近い。

雨の泥道にスライディングしたシャツやパンツも
綺麗に洗ってアイロンをかけ、畳んでしまえばきちんと引き出しに収納できる。

心についた嫌な記憶や辛い思い出もシャツの汚れと同じように洗濯してしまえば良い。
忘れることができなくても
綺麗に洗濯して畳み、順番に収納しておくだけでだいぶ違う。
次に取り出した時は、
「あー、こんなんあったな~」
って思えたりするから。

ところで監督は今映画のロケで地方のホテルにいる。
電話で話していた時にふと
「お風呂に入った?」と聞いてみた。

すると
「このホテルは大浴場がある。
でも他のスタッフもいるから無理だな…」
と、若干残念そうだった。

「ウルトラマンごっこできないのか~」と答えると
「何度も言うけどあれはウルトラマンではなくウルトラセブンなんだ」
と説明された。

私もお風呂に入るたびにそれをきれいに忘れるシステムらしい。

※本稿は、『還暦不行届』(祥伝社)の一部を再編集したものです。本文の体裁は書籍掲載時のままとなっています。


還暦不行届』(著:安野モヨコ/祥伝社)

庵野秀明監督と結婚後、新婚生活を描いた『監督不行届』。

本書は、『監督不行届』のその後をつづった文章版エッセイです。

文章版エッセイの合間に、 庵野監督を描いたひとコマ漫画、webエヴァストアで連載していた1ページ漫画を掲載。庵野監督へのインタビューも収録。