逆転の発想

最初の視察後、世界初のカップ麺の完成まで五年もかかりました。カップの大きさ、形状、素材を考えると、百福は夜も眠れません。枕元にサンプルを並べて、寝起きするたびに手に取って、縦、横、斜めから眺めていました。仁子だけでなく、宏基(次男)や明美らにも持たせてみて、一番持ちやすい形状を確かめるのでした。

百福は「私は三人に聞けば分かる」が口ぐせでした。

市場調査にお金をかけるのが嫌いで、何事も自分の目で確かめなければ納得できない性格だったのです。

カップの形状が決まってからも、その中にどうやって麺をおさめるかに苦労していました。麺が大きいとカップに入りません。小さいと底に落ちて輸送中にこわれます。なんとかぴったりと安定させる方法はないか。

ある晩、布団に横たわって考えていると、天井がぐるっと回りました。天地がひっくり返ったような感覚でした。その時にひらめきました。

カップヌードルのフタは、百福が飛行機内でもらったマカデミアナッツがヒントになった(写真:『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』より)

「そうか、カップに麺を入れようとするからだめなんだ。麺を伏せておき、上からカップをかぶせればいい」

逆転の発想でした。やってみると、麺はカップの中間にしっかりと固定され、びくとも動かなくなりました。これが「麺の中間保持」の技術として実用新案登録されたのです。

百福は六十一歳を迎えていました。普通の人なら定年生活に入ってもおかしくない年齢です。しかし。

「人生に遅過ぎるということはない。六十歳、七十歳からでも、新しい挑戦はできる」という言葉の通り、六十歳を過ぎても新しい開発に熱中し、チキンラーメンに続く第二の発明を成し遂げたのです。