元気に生きて、元気に死にたい
2007年1月5日、百福は九十六歳の生涯を閉じました。
元旦を家族と過ごした後、2日には宏基(次男)ら会社の幹部とゴルフに興じました。4日、日清食品大阪本社の初出式で、三十分間、立ったままで年頭訓示を行いました。昼食には社員と一緒に小餅の入ったチキンラーメンを食べました。翌日、心筋梗塞で倒れたのです。
百福はずっと、「誰の世話にもならず、元気に生きて、元気に死にたい」と言っていました。その言葉どおり生涯現役、見事に理想の人生をまっとうしました。
告別式で、宏基はこう述べました。
「母にとって、父はずっと実業家で仕事一途の人間でした。いつか家庭人になってほしいと思っていたはずですが、残念ながらかないませんでした」
そして、自著『カップヌードルをぶっつぶせ!』のなかで、
「父は、男としてこれだけ波瀾万丈の人生を生きたのだから、さぞ悔いのない人生だったことだろう。気の毒なのは母である。こんな浮き沈みの激しい人生につき合わされてはいい加減に愛想が尽きるというものである。そこを一切表に出さず、いつも、まあいろいろありましたから、の一言で笑い飛ばし、最後まで連れ添った母は立派である」と称賛しました。