心から感動したセリフ

部下たちからは昔からのやり方に固執したり、古い価値観を振りかざすことで煙たがられていた古池だが、古いやり方も間違いだけではなく、役に立つこともあることが示された。誠は、古池の働きに、「古池さんの粘りと根性のおかげです」と感謝する。しかし、その後こう言うのだ。「でも、だからと言って古池さんの態度が許されるわけでもない」。

古池は驚くが、誠は続ける。

3月に刊行された『死ねない理由』(著:ヒオカ/中央公論新社)

「女性がお茶を入れる、妻は夫を立てて家事を全て担う。社会人たるものプライベートより仕事を優先する。男は男らしく。それが常識だった時代もありましたよね。だから、私も古池さんも、部下に、家族にそれを強いたのは、社会がそうだったからだと、自分が自分を擁護することができる。社会のせいだ、俺は悪くないって。でも、その価値観を押し付けられた人は、誰も嫌な思いをしなかったとは言えんでしょう」。

このセリフに、心から感動した。よく、今はダメでも昭和ではOKだった発言や振る舞いが話題になる時、「そういう時代だったから仕方ない」という声があがる。その時は許されていたし、みんなやっていたのだから、今さらそれを責めるのはどうなのか、というのだ。この議論で忘れてはいけないのは、いくら当時OKとされていた言動でも、それによって傷ついていた人たちがいる、ということだ。誠の言うとおり、時代や社会のせいにしても、傷つけられた人がいる、という事実はなくならない。

なによりこのシーンで感動したのは、その人の良さや功績と、ハラスメントなどで人を傷つけた事実を切り分け、人を傷つける言動は改めるべきだと言っているところだ。それまで悪役だった古池のいいところにスポットがあたり、言動は酷いけどいいところもあるよね、という流れになりかねない回だった。でも、それはそれ、これはこれ、と古池の数々の言動をなぁなぁにはしなかった。

今の社会では、才能がある人、周囲に愛される人のハラスメントが発覚すると、「それでもあの才能が潰されるのはもったいない」「悪いことはしたかもしれないけど、人に優しい一面もあった」という擁護の声があがる。でも、才能があること、それによって人々を元気づけたり、救ってきたという事で、誰かを傷つけた事実が薄まったり軽くなるわけではない。また、誰かを傷つける人は1から10まで悪人というわけではない。“普段はいい人”が人を傷つけるのだ。その人の才能やいいところと、人を傷つけてしまったことは、あくまで別のこととして考える必要があるのではないだろうか。