欧米、中国などは「個人主義」が強い
例えばみなさんが通っていた中学校。「1年1組」と「1年2組」なんか雰囲気が違っていませんでしたか。
その他にも、町の雰囲気、会社の雰囲気、趣味のコミュニティー、夫婦、家族、友達のグループなど、人が2名以上集まると、それぞれの独自の雰囲気が出来ますよね。特に打ち合わせとか話し合いで決めなくても、その雰囲気は作られてしまいます。これは「集合的無意識」が作るものだと思っています。
「集合的無意識」は「集合意識」とか「超意識」などとも言われています。
人の意識は、先ず「顕在意識」があり、その奥に「潜在意識」があると言われていて、さらにその奥にあるものが「集合的無意識」や「集合意識」「超意識」ということになります。
説明が長くなってしまいましたが、日本人はこの「集合的無意識」がかなり強いと思うのです。
日本以外の国、特に欧米、中国などは「個人主義」が強いと言われています。陸地で他国とつながり、様々な民族・言語の人々が交わり、場合によっては争う中で、また厳しい自然環境の中で生き残るために、人々は先ず自分自身に重きを置かなくては生きていけなかったと思います。
もちろん、そんなに単純な話では無いことは重々承知しておりますが、日本は島国ということで侵略も少なく、単一言語の民族の中で、さらに、この豊かな自然と共存していました。
縄文時代が1万年以上の間、人を無闇に傷つける事なく平和に暮らしていたことは最近話題になっていますが、これも「自然と共存し、皆が全てを分かち合って暮らしていたから」と言われています。縄文時代には土地を所有するという意識もなかったと言われています。「全ては自然からの授かりもの」という考え方であったのです。
これは豊かな自然の恵みがあったからこそ、出来上がった意識であったかもしれません。
言語にも、このことは現れています。日本語は主語がなくても成立し理解できる言語です。しかし、多くの他の言語は主語がなくては意味が通じません。つまり「誰が」がとても大切なのです。日本はそれを察することができるのです。つまり「集合的無意識」が強いので、何となく雰囲気で理解できるのです。