「適当に生きよう」
では、無駄な時間を大切に、どう生きたらよいのか。適当に生きればよいのだ。
ただし、これは考えも無しに場当たりで生きて行けということではない。
「適当」は「適(かな)う」ことであり「当たる」ことである。ならば、何に「適い」「当たる」べきなのか。
それは、各々の「生きるテーマ」である。「夢」でも「希望」でもない。「テーマ」。
自分は何を大切に、誰を大事に思って生きるのか、それを見つけ出し、はっきりさせることが、「適当に生きる」第一歩だ。
自分の「適当」が分かれば、それ以外の余分は切れる。それまで「しなければならない」と思い込んでいたことの大半は、捨てられる。本来の「無駄な時間」が還ってくる。その時間を安易に塗りつぶしてはならない。埋めることを急いではならない。