赤塚が目指した「ナンセンスギャグ」の極致

67年には『週刊少年マガジン』で『天才バカボン』、『週刊少年サンデー』では『おそ松くん』の後を受けて10月『もーれつア太郎』の連載が始まった。

赤塚は自分の作品を「三振かホームラン、どちらかだ」と言う。

(写真提供:Photo AC)

『天才バカボン』は、『おそ松くん』、『ひみつのアッコちゃん』に続く連続ホームランとなった。赤塚ギャグの代表作であり、数多くのキャラクターの中で自身も「バカボンのパパが一番好き」と、愛着も強い。

バカボンとバカボンのパパ、ナンセンスな親子に、正統派・常識人のママ、天才赤ちゃんのハジメちゃんでバカボン一家がそろう。

ママのモデルとなったのは母・りよ、そして“主役”となるバカボン・パパのモデルは父・藤七だった。

「パロディー化して、デフォルメもされてるし、似ても似つかないけど、その、精神は込められているんだよ」と赤塚は強調する。

大ヒットとなる『天才バカボン』だが、誕生までは、難産だった。

67年のはじめ、講談社『週刊少年マガジン』の編集者が20パターンもの選択肢を持って新企画を依頼してきた。

ライバルの小学館『週刊少年サンデー』では『おそ松くん』が大人気でロングランしていた。小学館専属のようになっていた赤塚だが、ぜひとも欲しい作家だった。『週刊少年マガジン』は前年暮れ、発行部数100万部を達成し、勢いもあった。

最初は断っていた赤塚だが、最終的にはその熱意に折れ「全部(の企画パターン)を網羅した漫画を作ろう」と応じた。

赤塚が目指していたナンセンスギャグの極致、「バカを主人公にした漫画」を描きたかった。

ところが、フジオ・プロのスタッフ会議であっさり否定された。

編集サイドも「それは難しいんじゃないか。差別問題もあるし、危険だ」と難色を示した。

徹底的にナンセンス・バカなのだが、その奥に正論がある。バカ正直のバカ、つまり「馬鹿のほうが利口」という漫画が描きたかったのだ。

赤塚の熱意と説得が勝り、連載は3月からスタートする。

もっとも、モデルとなった父は「藤雄、警察を馬鹿にしちゃいけないよ」と、真剣に諭したこともあった。キャラクターに、ピストルを乱射する『目ン玉つながりのおまわりさん』が登場したときだ。赤塚は「性格のかわいさを描きたかったんだ。よく読んでよ」と言い返した。