『五木ひろし』としてデビューしてからあっという間に大スターの座を駆け上り、来年はいよいよ55周年。オリジナルはもちろん、愛されてやまない昭和の名曲を歌い継ぐ使命をもつ五木ひろしは、さまざまな大物歌手たちと知己を得て、さまざまな交流を続けてきた。今回は、存在そのものが伝説となっている美空ひばりとの思い出を語る。(構成◎吉田明美)
特別な存在
ひばりさんは、僕の一番上の姉と同い年なんです。僕より11歳年上の丑年。姉はずっと僕の子守をしてくれていて、最後の最後まで僕の面倒を見てくれました。僕は干支がネズミ年なんですが、十二支の順番がどうやって決まったか、という物語で、ネズミは牛の上に乗っかってきて、最後に牛の背中から飛び降りて神様の下に一番乗りしたということが伝わっていますよね。その物語の通り、ネズミ年の僕はまわりの丑年の女性たちにとってもお世話になってるんです。
ちなみに五木ひろしとしてのデビューのきっかけを作ってくれた作詞家の山口洋子さんも丑年なんですよ。
僕にとって、ひばりさんは特別な存在です。僕がものごころついてから人前で歌った記憶がある初めての歌が「りんご追分」。入院中の母の病院でいつも歌っていたのですが、みんなが拍手をしてくれるのがうれしくて…。いつの間にか美空ひばりさんの楽曲はすべて歌えるようになっていました。
ひばりさんほど、歌の上手い人はいませんよ。天才だとかピッチがいいとか耳がいいとか言われていますが、ひばりさんがデビューしたのは9歳でしょ? しかも子どもらしい童謡や唱歌などではなく、最初から流行歌を歌っていた。デビュー前に出場したNHKの素人のど自慢大会では、あまりにも子どもらしくないという理由で鐘が鳴らなかったというエピソードがあるけれど、おかあさんの加藤喜美枝さんが娘の天賦の才能を見抜いて古賀政男さんに直訴。古賀先生をして「君はもう完成している」と言わしめたといわれています。
当時のスター歌手だった笠置シヅ子さんの物真似が非常にうまくて、ご本人以上に人気が出たもんだから、ご本人からよく思われていなかったみたいです。