大事件が
実際に『小右記』(藤原実資〔さねすけ〕の日記)によると、7月24日には、道長と伊周が陣座で口論におよび、27日には道長と隆家の従者が七条大路で衝突した。
8月2日には隆家の従者が道家の随身(朝廷高官の護衛兵)を殺害している。
そして翌長徳2年(996)正月16日、故藤原為光(道長の叔父)の邸宅で花山法皇(法皇は出家した上皇)と伊周・隆家が遭遇して闘乱におよび、隆家の従者によって法皇の召し使いの少年2人が殺害され首を持ち去られるという大事件がおこる。
この事件の影響は大きかった。
早くも、正月25日の除目では伊周の座席がなかった。除目から排除されたのである。