誰が命令したのか

そして、2月5日には伊周の家司(けいし)宅に精兵が隠れているというので、検非違使(けびいし)による捜索が行われている。

さらに、11日、蔵人頭から陣座にいた道長以下の公卿たちに、明法博士(法律の専門家)による伊周と隆家の罪名勘申が命じられた。

歴史学者・倉本一宏が述べるように、これらの命令は道長によるものではなく、17歳の若き天皇によるものであろう。

道長と伊周・隆家との対立は周知であり、道長自身は慎重に行動していたのであろうし、一方で一条天皇は意外に強い政治的主導権を発揮していたのである。

*本稿は、『公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』の一部を再編集したものです。


公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』(著:美川圭/中公新書)

限られた上級貴族が集まり、国政の重要案件を論じた公卿会議。この国の合意形成プロセスの原型というべき合議制度の変遷をたどる。