一条天皇は道長のいいなりの人物ではなかった

このように見てくると、伊周と隆家の問題に積極的に対処しているのは、一貫して一条天皇である。道長の動きはほとんど見えない。一条天皇の政治的主導権は意外に発揮されているのである。

しかも、天皇の定子に対する寵愛は深いようで、この時期には懐妊しており、この年末にも生まれてくる子が皇子である可能性もある。その場合、天皇が従来の対応を大きく変えるかもしれない。

伊周兄弟が完全に失脚したとは言い切れず、次代の天皇の外戚として復活するかもしれない。藤原氏の内部での外戚をめぐる争いは、道長の娘彰子がまだ幼いこともあって、予断を許さないところがあった。

一条天皇がけっして外戚の道長のいいなりの人物ではないゆえに、道長の立場は盤石ではないのである。

*本稿は、『公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』の一部を再編集したものです。

【関連記事】
本郷和人『光る君へ』花山院に矢を放った伊周・隆家兄弟は「左遷」。道隆一族の力が失われるきっかけに…左遷先で彼らはどんな扱いを受けたか
検非違使による捜索に伊周・隆家兄弟への罪名勘申。命令していたのは道長でなく…『光る君へ』で描かれなかった「長徳の変」前後のウラ事情
紫式部の父・為時を「大国」越前守に抜擢したのは道長?結婚適齢期を過ぎた娘をわざわざ赴任先に連れていった理由とは…

公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』(著:美川圭/中公新書)

限られた上級貴族が集まり、国政の重要案件を論じた公卿会議。この国の合意形成プロセスの原型というべき合議制度の変遷をたどる。