伊周、大宰府へ

愛宕山(あたごやま)山麓まで逃避行していた伊周は、再び5月4日に出家姿で二条北宮に戻った。そこで母を連れて配所に下りたいと天皇に奏上したが、許されなかった。

その後、5月15日、伊周と隆家は病を理由に、それぞれ播磨と但馬にとどめられた。

だが、10月8日になって、伊周が病の母に会うために、密かに入京しているという密告がなされた。検非違使が調べてみると、たしかに定子のもとにいることがわかった。

そして、今度こそ大宰府に流されることになり、12月8日に現地に到着した。