六位以下はどうでもよい地位に

このような地位の値打ちはしだいに下落する。

『公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』(著:美川圭/中公新書)

道長が生まれた10世紀の朝廷ともなると、五位以上がなんとか位として意味があることになって、六位以下の位など貴族たちにとってはどうでもよい地位となってしまった。そして実際にも、あまり与えられなくなっていくようである。

となると、四位や五位は一応貴族といっても、朝廷ではかなり下の地位とみられてしまう。しかも兼家の「従四位下」は、四位が正四位上、正四位下、従四位上と上に三つもあるから、四位といってもその最下位ということになる。

そのような人物の四男が生まれたとしても、朝廷ではそれほど注目をされなかった。そのために生まれた日が記録されなかったのだろう。