前橋 66年にジュリアード弦楽四重奏団が来日して、若い音楽家のために室内楽のワークショップを開くというので、参加しました。急遽トリオを編成して、シェーンベルクの弦楽トリオのレッスンをファースト・ヴァイオリンのロバート・マン先生から受けたのです。そのレッスンがとても刺激的で。
さだ それでジュリアードへ。
前橋 マン先生に、「どうしてもジュリアード音楽院に行きたいけれど、どうしたらいいですか」と聞いたのね。デビッド・ジョーンズさんっていう、大相撲千秋楽の表彰式で「ヒョーショージョー」って言っていた人を覚えてる? パンアメリカン航空の。
さだ 覚えてます。
前橋 彼とマン先生がお友達で。それでニューヨーク行きの、パンアメリカン航空のチケットを用意していただいたのよ。条件として、タラップで写真を撮って送ってほしいと言われたのだけど、着いたらタラップがなくて。(笑)
さだ ボーディング・ブリッジだった。(笑)
前橋 何のお礼もできませんでした。マン先生にはジュリアードのスカラシップ(奨学金)を段取りしていただいて、先生のカルテットのレッスンも受けました。私はソ連で窮屈な生活をしていたでしょう。ニューヨークでは糸の切れた凧みたいになって。見るもの、食べるもの、珍しくて、真面目な学生じゃなかったの。(笑)
さだ 生活のほうが楽しくなっちゃった。
前橋 授業をさぼって、呼び出されたり。
さだ いい思い出だなあ。でも、ちゃんとカーネギーホールでデビューするんだから、すごい。確かアメリカ交響楽団で、ストコフスキー指揮でしたよね。
前橋 25歳の時にストコフスキーのオーディションを受けて、2年後に彼とのコンサートが実現したのです。
さだ その後はヨーロッパにも。
前橋 何と言ってもクラシック音楽発祥の地ですから。どうしてもヨーロッパで勉強したかった。