先生。ズンバで、鏡を見るというのも、そういうことじゃないですか。ありのままの自分と向かい合う。
先生の真似をして動くけれども、先生がどこをどう動かしているか、それを見極めねばならぬ。見極めたら、それを自分の身体に適用しなければならぬ。
適用するためには、自分の身体を観察して凝視して知悉(ちしつ)しなければならぬ。とどのつまり自分で自分を知らねばならぬ。
あたしはあたしであった。いえい!
ズンバとは、あたしであった。いえい!
それなら、あたしは、すなわちズンバであった。いえいえい!
アヤ先生が言うのである。
「最初にスタジオに入ってきたとき、ひろみさんは、肩が開いてなくて、腹筋がゆるんで、背中が一枚板みたいに固まって、肩からお腹まで沈んでるから、頭が前に出ていて、そんな上半身をのっけて、足だけで歩いてるみたいに見えた。そして『あたしはあと二十年仕事をしたいから、それまで仕事のできる健康な体でいたい』って言いました」
本人はそんなことすっかり忘れてズンバぢゃズンバぢゃと夢中でやっていたが、そうだった、切実な気持ちがあった。やりたい仕事がまだある。それをやり遂げたい、そのためには何より健康を保ちたいという相当な覚悟があったのだと今さらながら思い知る。
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米国人の夫の看取り、20余年住んだカリフォルニアから熊本に拠点を移したあたしの新たな生活が始まった。
週1回上京し大学で教える日々は多忙を極め、愛用するのはコンビニとサイゼリヤ。自宅には愛犬と植物の鉢植え多数。そこへ猫二匹までもが加わって……。襲い来るのは台風にコロナ。老いゆく体は悲鳴をあげる。一人の暮らしの自由と寂寥、60代もいよいよ半ばの体感を、小気味よく直截に書き記す、これぞ女たちのための〈言葉の道しるべ〉。