子ども同然の動物たちの死に立ち合い、価値観が大きく変わった
正直、動物に関する啓発活動をすることは、芸能活動の支障にはなってもプラスになったと感じたことはありません。私は、24歳で大手プロダクションを飛び出し、個人で芸能活動をしてきました。今でこそ個人で活動されている方は多くいらっしゃいます。
でもSNSのなかった30年前には、テレビや映画、雑誌に出る以外に活動先はないですから、大手プロダクションの後ろ盾のない人間というのは、どこへ行っても考えられないくらい邪魔されました。(笑)だからこそ相手が大きくとも、怯まない強さが備わってきたのかもしれません。
動物の福祉や「生体展示販売」に反対していることなどを口にすると、スポンサーの利益に反するので黙ってほしいというような圧力が少なからずあります。それでも誰に気兼ねすることもなく、間違っていることを間違っていると発言できるのは、個人である身軽さが幸いしています。
それでも動物のことを守ろうとすればするほど辛い現実を突きつけられることが多い。けれど、やめようと思ったことはありません。苦しんでいる動物たちが今もいると思ったら、自分が辛いからといって「やめる」というのは、自分自身の人生から降りるように感じてしまうのです。
動物が私に教えてくれたことは大きいです。この活動に携わらなかったら、幸せとは何か、一番大切なことは何か、学ぶことができなかったと思います。そして、高齢の犬や猫を自宅で引き取ることも多いので、いつも動物たちの死に際に立ち合ってきました。ここ数年は毎年、我が子のように愛してきた動物たちの介護をして、最期の時間を共に過ごしています。
彼らの誇り高い生き様を見て、今後自分が病に犯されようとも、高度医療に頼ることなく、最期の時間を大切に、枯れるように死んでいきたいと思うようになりました。「死」というものをリアリティを持って感じることができていると、どんな困難な事態に直面してもどこか冷静でいられる。それもまた、動物たちから学んだことかもしれません。
そして動物に対して、どう捉えるかということで自分の周りの人の人間性も見えてくるものがあります。弱い者に対してどう接するか、言葉を持たない相手にどう接するかで、自ずと見えてくるものがある。お金に対してどんな価値観を持っているかが分かると、その人の人柄が透けて見える感覚に近いかもしれません。