(撮影:村山玄子[写真のレコード・蓄音機はすべて高氏さんの所蔵品]/イラスト素材:illust AC)
1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、家で気軽に音楽を楽しめるようになりました。日本では1903(明治36)年にSPレコードが輸入されて以来、音楽がより身近に。終戦後は「東京ブギウギ」などの大ヒット歌謡曲が人々を元気づけました。黎明期から製造中止期までに作られたSPレコードを小学生の頃から集めている高氏貴博さんのコレクションから選りすぐって紹介します(構成=田中亜希 撮影=村山玄子(写真のレコード・蓄音機はすべて高氏さんの所蔵品))

3よりつづく

戦後の日本を元気づけて

戦中になると外国音楽は敵性とされ、自由な音楽鑑賞が不可能に。また、ほとんどのレコード会社の工場は空襲で被災してしまいます。

 

「勝利の日まで」二ッチク、1945年
●戦時中は「戦時歌謡」一色に
終戦前の最後に発売されたレコードがこの「勝利の日まで」。サトウハチローが作詞し、古賀政男が作曲、当時の流行歌手を集めて録音。1945年初めに新譜として発売された(その後、空襲など戦争の激化により製造は終戦までストップ)。4月発売予定の新譜「空から轟沈」は工場の爆撃により発売されなかった(「勝利の日まで」二ッチク、1945年)

 

しかし、コロムビアは商標をニッチクに変更して生き残り、当時の流行歌手たちによる戦時歌謡「勝利の日まで」を1945(昭和20)年初めに発売。終戦の直前まで製造を続けたのです。

 

霧島昇・並木路子「リンゴの唄」コロムビア、1946年
戦後初の大ヒット「リンゴの唄」昭和21年
戦後初の映画『そよかぜ』の主題歌として発売された「リンゴの唄」が戦後の大ヒット第1号。並木路子は映画の主演もつとめた。1945年12月に録音し、翌1月に新譜として発売されたオリジナル版は、霧島昇と並木のデュエット。作詞サトウハチロー、作曲は万城目正(霧島昇・並木路子「リンゴの唄」コロムビア、1946年)