寺尾の夫婦対談を掲載した『婦人公論』(2003年10/7号)
現役を引退した翌年の『婦人公論』(2003年10/7号)では夫婦対談も。伊津美さんは実母との約束で「60歳以降は写真を撮らない」ことにしており、今回の取材では顔を出すのを控えた

でも、どこかの時点で人生をやり直せるなら、寺尾が相撲部屋の師匠となる時に戻りたい。引退した2003年には、『婦人公論』で夫婦対談もしましたね。師匠とおかみさん、として過ごした18年間もたくさんの思い出がありますが、それでもあの時に戻れたら、きっと師匠になることを反対すると思います。

若い子たちの人生――それこそ、食いしばりすぎて歯がなくなる寺尾のような力士の人生を、たくさん預かるんです。ただでさえ、病気やケガがつきものの世界。弟子がケガをすると、「もしこのまま力士が続けられなくなったとしても、本人にも親御さんにも一生後悔させないように」と、最高レベルの治療を受けさせるために全国を奔走していました。

39歳まで現役を続けるなか、力士としての体を維持するために全国の医療機関を訪ねてきた人ですからね。手術に立ち会ったり、私が親御さんに治療方針を説明することもよくありました。

寝食をともにし、コロナ下では8000枚のマスクを常備してまめに取り換えさせ、外出から帰ったら即、シャワーを浴びるのをルールにしていました。人一倍、心配性で繊細な寺尾の心臓が持つわけがない。今となってはそう思えてしまうのです。

寺尾亡きあとの部屋は、一番弟子だった元小結の豊真将(ほうましょう)が継いでくれました。次の世代に寺尾の考え方を押しつけようとは思いませんが、きっと《イズム》は受け継いでくれているものと信じています。

今は三兄弟が、両親とともに仲良くひとつのお墓に眠っています。マザコンを自負していた寺尾のことですから、大好きだったお母さんと一緒のところに入れて喜んでいることでしょう。

義姉たちからは、「伊津美さん、ウエルカムよ。私たち《未亡人かしまし娘》ね!」と言われ、泣き笑いしましたが、とにかく今は寂しいですよ。稽古場の脇にあるお仏壇に、日に5回も6回も手を合わせて話しかけ、たまに若かりし頃のことで文句を言ってみたりしています。(笑)

私にとっては最大の趣味だった寺尾がいなくなってしまったわけで、これからどうやって残りの人生を楽しめるか、仏壇の前でゆっくり考えるとしましょうか。