突然、後ろで京也の声がした。
「すてきな絵だね。波子さん、もっと働けるといいのになあ」
 まさか京也から自分に声をかけてくることがあるとは思ってもいなかったので、ハルは、ええっと少しうわずった声で返事をする。
 たしかに、京也のいうとおりだとハルは思う。
 呉(ご)波子は、編集部では唯一の既婚者で、公学校と中学校に通う子どもふたりを抱えている。玉蘭の説明によると、女学校どころか女の子が学校に通うことすら必要ないと考えるひとが多かった時代に、創立間もない淡水女学院に進学したのに、結婚してからは気難しい舅の気分次第で自由な外出すらままならない毎日だという。実際、ハルが働くようになった一ヶ月で見かけたことは、片手の指で数えられる程度である。三十代前半、柔和などこかおまんじゅうを彷彿とさせるような丸い顔をした大柄な女性だ。
 挿絵を封筒に入れて、皺が寄らないように注意しながら机の引き出しにしまう。
 顔をあげると、伸びをしていた劉と目があった。物心ついたころから父がほとんど家にいたことがないので、ハルはこれまで兄よりも年上の男性と話すのははっきりいって苦手だった。しかし、劉にはふしぎとまったく緊張しない。