「ねえ、劉さん。あたし、なにを書いたらいいの?」と少し甘えるようにハルはきいた。
 劉は、頭のうしろを右手でかきながら、小さな声でいった。
「わたしがまだ新聞社の駆けだしだったころ、編集長からよくきいた言葉をお伝えしましょうか?」
 かすかに劉の目元が笑っている。こういうとき、劉は愉快な気分なのだということを、ハルは最近になって知った。
 ハルは肩をすくめて、わかるからいい、と答えた。今日は劉さんまで、百合川のように意地悪だ。ほんとうにやってられない。
 日傘を手に席を立ったハルの背中に、劉がつぶやくようにいった。
「ネタは足で探せ、ですよ」
 へいへい、そういいながら、百合川をチラリと横目で見て、編集部をでる。百合川は、視線を『婦人公論』から上げることなく、「いい記事期待している」とよく通る声でいった。
 階段の途中で下から上がってくる玉蘭とすれちがった。手には、ラムネの瓶を二本持っている。大方、百合川に頼まれたお使いだろう。
「取材?」
「うん、ちょっと市場まわってくる。なにかいいネタがあるといいんだけど……」
 玉蘭は、少し躊躇するような表情をしてから、お昼に麺線(ミーソアン)はどうかな、と上目遣いでハルを見た。期待がありありとにじんだ目。断る気分にはとてもならなくて、ハルは、うなずいた。台湾版素麺とでもいうべき、麺線はハルも大好きな台湾のソウルフードだ。
「じゃあ、お昼には一度戻ってくる!」
そういうと玉蘭はほっとしたような顔をして笑った。

(続く)

この作品は一九三〇年代の台湾を舞台としたフィクションです。
実在の個人や団体とは一切関係ありません。