一九三三年、日本統治下の台湾。ある事件により東京の雑誌社をクビになった記者・濱田ハルは、台中名家のお嬢様・百合川琴音のさそいに日本を飛び出し、台湾女性による台湾女性のための文芸誌『黒猫』編集部に転がり込んだ。記事執筆のため台中の町を駈けまわるハルが目にしたものとは――。モダンガールたちが台湾の光と影を描き出す連作小説!

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三 後編

 大和橋をわたると、右手に初音町遊廓が広がっている。
 浪花楼(なにわろう)、小泉(こいずみ)楼、大正(たいしょう)楼、富士見(ふじみ)楼といった看板を掲げた二階建ての日本風の妓楼を横目に百合川は早足で歩く。当然のことながら朝の妓楼は静まりかえっている。
 朝帰りの客を見送る若い娼妓(しょうぎ)の姿が目にとまって、ハルはしばらく歩きながら見ていた。男が通りの角を曲がって見えなくなると、大きなあくびをひとつしてその娼妓は店に入っていった。娼妓の暮らし向きは、内地でもこちらでもあまり変わりがないようだ、とハルはぼんやりと思った。
 初音町と若松町(わかまつちょう)との境目に、西洋風の教会を彷彿とさせるレンガ造りの立派なビルディングがある。街路に面した高窓はステンドグラスになっていて、そこに「カフェー黒猫」という文字と、すました黒猫の絵がはめこまれている。そのカフェーの二階、二十畳ほどはある大部屋が『黒猫』編集部だ。
 ハルは詳しい事情は知らないが、雑誌の発行に向けて、編集部を置く場所をさがしていた百合川が、自らの雑誌名に、と心に決めていた「黒猫」が、モダンなステンドグラスにはめこまれているのをみつけて即断したと玉蘭がいっていた。本来、カフェーの二階の六つの大部屋は、重要なゲストを迎えるための宴会場であったらしいが、百合川は蔡家の財力にものをいわせてそのうちの一部屋を借り上げたという。
 この場所に事務所があることの利点は、昼間は静かであることと、夜になると近所のダンスホールや一階のカフェーから軽快な音楽がきこえてくることだ、と百合川はいっていた。酔っぱらいやごろつきどもがうろついていることは別に問題とは感じていないらしい。