何にでも意味を求めすぎる
養老 河原へ行ったら石ころがごろごろしている。その石にどういう意味があるんですか?
世界には無意味なものがたくさんあるんです。何にでも意味を求めすぎる。だからゴキブリもハエもいなくなる。
35億年の生き物の歴史を考えたことがないから、あんなものいらないだろうと言うんです。
おまえと同じで35億年苦労してここまで来たんだよと。なんで人間だけ威張っているんだよ、という話です。
※本稿は、『死を受け入れること ―生と死をめぐる対話―』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
よく生き、よく死ぬために。
3000の死体を観察してきた解剖学者と、400人以上を看取ってきた訪問診療医。
死と向き合ってきた二人が、いま、遺したい「死」の講義。
出典=『死を受け入れること ―生と死をめぐる対話―』(著:養老孟司・小堀鴎一郎/祥伝社)
養老孟司
東京大学名誉教授・医学博士
1937年神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。81年より東京大学医学部教授、95年退官。東京大学名誉教授。『バカの壁』(新潮新書)、『唯脳論』(ちくま学芸文庫)、『ものがわかるということ』(祥伝社)など著書多数
小堀鴎一郎
訪問診療医
1938年、東京都生まれ。医学博士。東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院第一外科、国立国際医療センター(現国立国際医療研究センター)に外科医として勤務した後、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任。訪問診療医として700人以上の看取りに関わる。著書に『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』(みすず書房)、『死を生きる 訪問診療医がみた709人の生老病死』(朝日新聞出版)。訪問診療の活動を追った映画『人生をしまう時間(とき)』が2019年公開され、話題になる。祖父は森鴎外。