初めて君をこの手に抱いたときの喜びを

こうしてオートマチックに生かされた入院の日々のなかで、唯一といってもいいほど能動的に行えるのは、いや、行わなくてはならないのは、そう、排便だった。

入院した翌日、私は検温に来てくれた愛くるしいナースに恐る恐る、「トイレの大きいほうはどうすればいいのでしょうか?」と聞いてみた。

「あーよかった。出ますか? 準備しますね」

と、横たわる私の腰の下に傾斜のついた水色の薄いおまるをあてがい、「終わったら呼んでください」と軽やかに去って行ってしまった。私のハートにわずかに残っていた恥じらいが異を唱える。「ここは公衆の面前ですよ!」と。結局その日は脳内会議が長引き、出すことはできなかった。

そして数日後、パンチパーマの看護師長に叱咤激励され、下剤も飲み、恥じらいを説き伏せ、ついに排出に成功した。ナースたちは、排便を言祝(ことほ)ぎすらしてくれた。その優しさにいたたまれなくなり、穴に入るどころか切腹したい衝動にかられ続けたのだった。

その衝動が関係しているのかどうかは不明だが、破水してから1ヵ月後の妊娠33週の晩、自然分娩すべく半日ほどささやかに陣痛を味わった後、緊急帝王切開で長男はこの世に生まれた。

「あまりの暴君ぶりに未熟児だったことを忘れがち……」というのは、嘘だ。私は生涯忘れないだろう。破水した後の腹が日に日にしぼんでいく恐怖を。ようやく聞いた、か細い産声を。NICU(新生児集中治療室)でガラス越しにしか触ることのできない折れそうな足を。いくつもの電極が貼られた小さな背中を。固定された包帯からわずかに見える透きとおった爪を。そして、初めて君をこの手に抱いたときの喜びを。うずくまり、泣き叫んでしまいそうな、圧倒的な愛おしさを。

みーたろう、まーたろう、どんなに泣いても、駄々をこねても、寝なくても、喧嘩をしても、フルローンの新築の家を散らかしても壁を汚してもいい。だからどうか、これからも健やかで。その願いが叶うのなら、父も母も、命でもなんでも喜んで差し出そう。

 


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