大相撲が大好きだということを再確認した

NHKテレビの大相撲放送では連日、愛知県体育館の思い出として、外国人力士の初優勝である高見山、輪島の活躍、千代の富士と北の湖の名勝負、曙と若貴兄弟の巴戦による優勝決定戦などを紹介し、私は当時のことを思い出して、再感激した。

今場所、大相撲放送から私は初めて知ったことがあった。幕内最高齢の39歳の前頭9枚目・玉鷲が、同じ片男波部屋の横綱・玉の海を大尊敬していて、玉の海の柄の反物を入手し、浴衣にして着ていたことだ。北の富士さんとともに人気を博し、玉の海は27歳で急死した。私は当時高校生だったが、「双葉山の再来」と言われた玉の海のファンで、人の死で号泣したのは玉の海が初めてだった。玉の海は昭和19年に大阪市に生まれ、戦災で愛知県に引っ越して出身地は愛知県としている。昭和46年名古屋場所では全勝優勝した。玉の海を大尊敬する玉鷲の心に感動した。

私は生活費節約のために、夏も冬もエアコンを使わないでいる。冷房にしないで、水をがぶがぶ飲みながら、大相撲を見ているとどうなるかというと、椅子に坐っている膝の後ろにあせもができるという体験をする。しかし、千秋楽、隆の勝が勝った時点で、エアコンのスイッチを入れた。窓を閉めて、騒ぎまくるためだ。生前、母は私のあまりにひどい声援と罵声にあきれて、近所に聞こえないように、窓だけでなく雨戸も締めていた。

今場所、自分の声援を録音してみて、いくらファンとはいえ、聞いてみてあきれた。

「コラッ!佐田の海様を土俵際に追い詰めるな!」「王鵬様が押してくださっているのだから、ありがたく下がれ、無礼者!」「正代、勝ってしょうだい(「勝ってちょうだい」にひっかけている)。圧力かけろ!やったれ!」「遠藤様が技をかけたら、早くコケるのが礼儀だぞ!」など、かなりひどかった。

孤独な老人でも、テレビに向かって、感激して泣いたり、喜んだり、叫んだりできる大相撲が大好きだということを、私は今場所、再確認した。

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