鶏のすき焼きの光景…

家の資産(土地家屋)を管理していた我が家は、働かずとも裕福だったようで、上等な服を着た私は見事な健康優良児でした。

終戦後もどこから入手するのか家にはバターや砂糖がありました。だから栄養は十分に摂取できたのでしょう。

でも豊かな食生活かというと、それはまた別の話です。

私が生まれた後、長女を4歳で失った母は、食べてくれれば十分と、好きなものを存分に与えてくれたのかもしれません。

「8歳のお誕生日、何が欲しい?」と聞かれて、「チーズ!」と元気よく答えたそうです。

甘いお菓子よりもチーズが大好きだったのですね。

チーズを1箱もらった私は、大喜びで妹と分け合って、妹は少しずつ、私は一気に全部食べました。

この家での強烈な食の記憶は、鶏のすき焼きです。

15歳年の離れた九州大学の医学生だった従兄に、母が食料の足しになれば、と、庭で飼っていた鶏を絞めてもらうように頼んだのです。

井戸端にしつらえた石の流し台で、無言で鶏をさばくお兄さんの大きな背中。

水の音、赤い血、お腹から数珠つなぎに取り出される大から小の卵黄…。私は驚きと好奇心で、一心にその様子をみつめていました。

その夜は、 鶏のすき焼き鍋を皆で囲みました。

その味こそ忘れてしまいましたが、その日見た光景は今なお鮮明に覚えています。