シャオリンは、冷たい目でハルを見上げる。それから、許さない、と不機嫌そうに首を横にふり、劉の机の横の小さな椅子にちょこんと座って、書類の整理の続きをはじめた。

 ハルはすっかりしょんぼりして席に戻る。百合川が次号の取材テーマの参考にと机の上に置いていった日本語の雑誌や新聞を手に取ってぱらぱらとめくっていく。台中公園入口のカフェー巴(ともえ)に新メニュー登場、サロン日活(にっかつ)の新しい演目――文字は目に入っても、その内容はほとんど頭に入ってこない。新聞記事は、高等女学校をめぐるものが多いから、もしかしたら百合川は次号の特集にと考えているのかもしれない。

 窓の外から吹いてくる風が少し涼しくなったように感じて、ハルが百合川の机の上の時計に視線をやると、もう五時前だった。

 結局、なにもしない一日だったな――。

 そう思って伸びをしていると、シャオリンがハルの机に駆け寄ってきた。ハルは一瞬身構える。

「わたしの紹介書いて。今度は噓じゃなくて」

 シャオリンは手に『黒猫』創刊号を持って、指を雑誌のなかに挟みこんでいる。受けとってそのページを開くと、編集後記の編集部紹介のコーナーだった。

 要するにあたしに、ここでシャオリンの紹介をしろってことね。思いがけず失敗を挽回する機会が与えられたことに自然と笑みがこぼれた。

「まだ、ぜんぜん許してない!」

 そういうとシャオリンは、身をひるがえして風のように階段を駆け下りていった。

 百合川だけでなく、もうひとり編集部内に難題を抱えてしまったようだとハルは思った。

(続く)

この作品は一九三〇年代の台湾を舞台としたフィクションです。
実在の個人や団体とは一切関係ありません。