当時、兄は仕事のあと、ひとり暮らしの母の家に行き、身の回りの世話をしていました。ある夜、兄がトイレで倒れているのを母が発見。僕に電話してきたからすぐ救急車を呼んだ。命は助かったものの、左半身に麻痺が残りました。
不思議だよね、2人一緒に重病になっちゃって。お互いを見舞って「早く元気になれよ」と励まし合ったけど、正直、「ビリー・バンバンは終わった。もう二度とステージに立てないだろう」と思いました。
でもね、奇跡的に復活できたんです。僕は、手術後回復し、再発もありません。兄はもともと負けず嫌いで努力家。リハビリも頑張りました。杖を使って自宅の廊下を10往復とか、麻痺した左足を固定して右足で自転車漕ぎ10キロとか、リハビリの先生に言われた以上に負荷をかけてトレーニングするんです。自分が決めた目標は絶対達成する。昔から変わらない、兄のそういう姿勢は尊敬します。
兄の体調もよくなって、約1年後の15年6月に山梨県で行われたフォークコンサートで復活を果たしました。兄は車椅子に座っての歌唱ですが、温かい拍手を浴びて感無量でした。その後、東京・立川でのコンサートには母も来てくれて。僕らの出番が終わって客席の母のところに行くと、笑顔で「よかったよ、本当によくできたよ」って、言葉はそれだけ。
母はね、僕らがいいときも悪いときも、顔を見れば心の中がわかるから、余計なことは言わない。それが母の愛なんだと思う。母は16年に96歳で亡くなりました。大往生だけど、僕らの病気で延期になっていた、45周年のコンサートも見てほしかったな。