娘を助けず「娘を憎む」道を選んだ母
父は欲求を果たし終わると、満足したように自室に戻り、母の横でイビキをかいて眠るのが常だった。イビキの音が、段々深く、大きくなっていく。そこに、母の寝息が混ざる。母の寝息は、はじめは演技であることが多い。母は、父が何の目的で私の布団に入っているのかを知っていた。それが「単なるスキンシップ」ではないことも、刑法に触れる類のものであることも。でも、母は私を助けなかった。
母にとって、悪いのは父ではなく、「父をその気にさせる私」だった。「実の父親をたぶらかす私」に罪があると考えた方が、母の傷は浅く済んだのだろう。私自身が子を産み、母となった今、改めて母の思考を理解しようと努めたが、できるはずもなかった。「母親」より「女」を優先させ、娘に嫉妬の眼差しを向け、竹の定規で折檻をする。それが、私の母だった。
テストでミスをすれば殴られ、口答えをすれば殴られ、誤ってお皿を割れば殴られる。私の手の甲や腕には、頻繁にミミズ腫れが浮いていた。それらも、両親に言わせれば「教育」であるらしい。「親ならば」何をしても許されるのに、「子ども」の苦痛には無頓着な社会の構図が憎い。父親が娘に対し性的虐待を行なっていた場合と、堪りかねた子どもが成人後に親を殺した場合。刑法上、どちらの罪が重いかは問うまでもないだろう。この国の法律は、「魂の痛み」を測る仕様になっていない。
母の寝息が演技ではなく、本物のそれに変わるまでに、30分から1時間はかかる。その間、私は身じろぎもせず、全身を耳にして両親のイビキと寝息を感じ取るのが日課だった。二人が熟睡しているのを確信したのち、音を忍ばせ家を抜け出す。玄関の鍵を外す瞬間が、一番緊張した。古い家の鍵は、引き下ろす際にガチャン!と嫌な音を立てる。そこさえクリアすれば、あとは誰にも見つからないよう全速力で夜道を駆けるだけだ。
私の秘密を知っている、ただひとりの人。父の行為を知っても尚、私を軽蔑しない人。幼馴染が暮らす狭い六畳一間だけが、私が心から安らげる唯一の居場所だった。