陸地測量部員の意気込み

併用橋といえば長野県の千曲(ちくま)川を渡る村山橋も平成20年(2008)まで同様で、こちらは単線の線路と道路が柵で仕切られていた。

戦前の地形図ではこれが見事に表現されていた。

道路と線路の間に「柵」の記号を入れ、全体を橋記号で束ねた表現から、この特徴ある橋を既存の記号の組み合わせでなんとか表現しようとする陸地測量部員の意気込みが感じられる。

 

※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。