幼き頃の美智子さん(左)と久美子さん。笑みがこぼれる(写真提供◎久美子さん)

久美子 60歳の頃かな、私も夫もずっと息子を支えてきたつもりでいたけど、じつは支えられていたことに気づいたの。「この子がいるから元気でいられるんだ」って。生きる目標とでも言うのかしら。大変なことも多かったけど、いまはそんなふうに考えているんよ。

美智子 うんうん。

久美子 でもそう言えるのは、きょうだいや友達など支えてくれる人が多かったおかげ。世話が大変で眠れなかったり、肉体的にキツいこともあったけど、みんなが精神的に支えてくれたので頑張れた。特にきょうだいね。普段はつかず離れずだけど、いざというときに力になってくれて心強かった。

美智子 うちは8人きょうだいで、私は上から7番目。久美子は末っ子で、私とは8歳違い。戦死した長兄以外は、女ばかり。あなたと、一番上の姉とは19歳違い。

久美子 人生でいくつか大変なことのひとつとして、戦争もあった。あれは、私が2歳、みっこ姉ちゃんが10歳のとき。

美智子 長崎に原爆が落ちた日のことは忘れられない。私は小学5年で、山のひとつ向こうに疎開していたので難を逃れた。市内にいた姉たちは命からがら逃げてきて、なんとか家族みんな無事で会うことができたの。ただ、一番上の兄は召集され戦死しました。

久美子 私は幼かったから記憶はないけど、戦中戦後は食べ物もなく一家は大変だったみたいね。

美智子 そういう経験もあるから、食べ物を粗末にはできないし、ものを大事にして、あるものでなんとかしようと思うのよ。

久美子 母は終戦の翌年にがんで亡くなった。姉たちが母親代わりで、私が子どもの頃は友達に、「うちには6人の母親がおる」って言ってた。(笑)

美智子 もう施設に入っているけど、98歳と96歳の姉が健在で、きっと長生きの家系なのね。戦争で兄を失ったし、日本の復興は大変なものでしたが、その後の平和のおかげで、長生きさせてもらっていると思う。