「家事にしても子どもの世話や介護にしても、振り返るとすべては私の《自己表現》だったんだと思う。家庭は自己表現の場だと思ってきたから、不満なんか感じなかったな」(久美子さん)

姉は一人が好き、妹は大家族が好き

久美子 母が亡くなったあとは、父が娘7人を育ててくれた。青果の卸売業から戦後は貿易会社を興して。

美智子 厳しくも優しい父は親分肌で、もてなすのが好きだった。あなたが高校生のとき、父が知人を助けるために借金の保証人になるというので、姉たちと止めたんだけど、説得できなくて。結局父の会社が倒産してしまったの。

久美子 私は自宅に差し押さえの赤札が貼られているのを見て、ショックだった。その後、姉たちが就職や結婚で次々と家を出ていって。私が19歳のとき、父が仕事中の交通事故で亡くなり、最後は私一人になっちゃった。その後24歳で結婚して家庭を持ったときは、ホッとしたんです。

美智子 私は子どもの頃から一人でいるのが好きだった。おしゃべりも上手じゃないし、一人で思い切った行動をとりがちだったわ。高校3年のときに「この家から飛び出したい。自活したい!」という思いがフツフツと湧いてきて、思い切って大阪の会社にタイピストとして就職。一人の生活を始めたときは嬉しかったなあ。

久美子 大家族が好きな私とは真逆ね(笑)。息子が障がい児になった50年前は、世間の理解も支援もまだ少ない頃で、私はかなり心細い思いをしていた。そんなとき夫の両親が「私たちも手伝うよ」と生活拠点を移し、この一軒家に一緒に住んでくれて、本当に助かった。

いま、近所には家族同然の友達もいるし、そういう意味では、私が望んでいた通りの《大家族》が続いていると言えるかも。ふだん息子は施設(生活介護事業所)で暮らしていて、土日に帰ってくるので、平日は86歳の夫との二人暮らし。