人生を歩み続けるために
納骨は執着を断ち切る儀式でもあります。
道元禅師の言葉に「生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり」というものがあります。
あきらめとは諦めるという意味ではなく、明らかにするという意味で、「生とは何か、死とは何かを明らかにすることが仏教においてもっとも大切なことである」という教えです。
生とは何か? 死とは何か? という問いに対して、現代科学をもってしても明確に解き明かされていません。
けれど、この人はもういないと死を受け入れることが、人生を歩み続けるために必要なのです。
※本稿は、『心が整うおみおくり-残された人がよく生きるための葬儀・お墓・供養のこと』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『心が整うおみおくり-残された人がよく生きるための葬儀・お墓・供養のこと』(著:大愚元勝/中央公論新社)
葬儀は亡き人のためならず。生きていく人の心をラクにする――。
愛知県・福厳寺の住職であり、YouTube「大愚和尚の一問一答」で人気の大愚和尚が、選択肢の増えた弔いの儀式から供養のありかたまで、はじめて「死別」との向き合いかたをアドバイスする一冊。
亡き人と向き合うことが、残された人が未来を生きるうえで大切な癒しになることを、やさしい言葉で語りかけます。