2.警察官は母の証言を取るのに苦労した
その日の午後、地元の警察から電話あった。交通事故の加害者の話は聞いたが、被害者の母の話を聞いていないので、母を連れて来てくれというのである。
私は母をタクシーに乗せて、地元の警察に行った。その事故調査がたいへんだった。
警察官が「おばあちゃん、横断歩道を渡っていたんだよね」とたずねると、母は「あんた誰?」と逆にたずねた。警察官が「車にぶつかったんだよね」と聞くと、母は「あんた見てたの?そんなこともあったね」と答えた。警察官が「車にはねられて倒れて頭打ったんだね。痛かった?怖かった?」と被害者の思いを聞くと、母は「3月10日の東京大空襲のほうが怖かった」と答えた。
そんな会話がずっと続き、私は警察官に申し訳なく思った。私は「ここをぶつけたようです。タンコブができています」と、母の頭を触ると、母は「イテテッ」と言った。警察官は「気の毒に」と憐れんでくれた。
警察官は私に、「事故を起こした人は、横断歩道があるとは思わずに運転していて、気づいた時にお母さんが前にいて、はねてしまった事を正直に言っています」と言った。
家に戻ると、母は足が痛いと言い出した。靴下を脱がすと、足の甲がひどい打撲だった。明らかに交通事故のせいだ。A病院では母の靴下を脱がせず、母も痛いと言わなかったのだ。A病院に電話するともう診察時間は過ぎていた。
近くのB病院に電話すると外科で受け付けると言ってくれた。タクシーに母を乗せて行くと、若い医師が「車にはねられた時に足の甲を打ったのを見過ごしたんだな」と言い、保険会社にB病院にもかかると連絡するように、とのことだった。
次の日、保険会社の人が私の会社に訪ねて来て、年寄りの交通事故は長くかかるので困るなどと言い出し、怒りをこらえるのに必死だった。