黄色いジャンパーで男の子を背負っている写真
救助した母親が船酔いすると、代理で幼子をおんぶすることも。©SOS Méditerranée
紛争や迫害、貧困から逃れ、簡素なゴムボートや木造の船で、アフリカからヨーロッパを目指していく人たちは後を絶たない。だが、リビア沖から地中海を渡る「死のルート」と呼ばれる危険な海路で船が転覆し、命を落としてしまう人も数知れない。その中には妊婦や乳飲み子を抱えた母親もいる。そんな女性や子どもたちに医療的ケアを行うために、地中海で捜索救助船に乗っているのが助産師の小島毬奈さんだ。この活動に携わっている日本人助産師は、小島さんただ1人。その様子はテレビ番組『情熱大陸』でも取り上げられ、著書『船上の助産師』(ほんの木)も出版された。小島さんがなぜこの活動に力を注いでいるのか。その思いを伺った。(構成:内山靖子)

「国際協力」や「世界平和」のためじゃなく

助産師として、初めて捜索救助船に乗ったのは2016年の秋でした。それから現在に至るまでの8年間で11回乗船しています。

1回の乗船期間は約1~2ヵ月。最初は国境なき医師団のスタッフとして。2017年からは、ヨーロッパの市民団体「SOSメディテラネ」と共同で運航している捜索救助船「オーシャン・バイキング号」に乗って活動を続けています。

私の仕事は、海上で救助され、船内に保護された何百人もの人たちの健康をケアすること。主に、女性と子どもたちを担当しています。

妊娠・出産といった助産師の仕事だけでなく、毎朝2時間半かけての検温、ゴミ集め、洗濯、食事の用意、キッチンの片付けなどのルーティンワークに始まり、「子ども用のオムツが足りない」「新しい下着がほしい」「薬をちょうだい」といった要望に、朝から晩までひっきりなしに対応しています。

この仕事をしていると、周囲の方から「立派な仕事をしていて偉い」と言われることもありますが、そもそも「国際協力」や「人道支援」に興味があったから、この仕事を始めたわけではありません。「世界平和のために」という崇高な意識を持っているわけでもありません。

自分らしい働き方、自分らしい生き方を模索する中で、たまたまこの仕事に出会った――それが正直な心境なんですよ。