「リナ先生の歌を聴いて、やっぱりイタリアに来なくちゃダメだなと思って」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第36回はテノール歌手の笛田博昭さん。(撮影:岡本隆史)

前編よりつづく

黄金の噴水がヒャーッと……

それからしばらくは受賞が続く。2006年イタリア声楽コンコルソ・イタリア大使杯。07年マダム・バタフライ世界大会第1位。

そして09年、31歳の時からおよそ3年間、イタリアに留学した。

――3年と言っても、仕事でよく日本に帰ったりしましたから、約2年間ですかね。ミラノです。この時に第3の転機になる出会いがありました。リナ・ヴァスタ先生、小柄なおばあちゃんの素晴らしいソプラノです。また僕は衝撃を受けましたよ、パヴァロッティ以来の衝撃を。

僕がその先生の声を初めて聴いたのは27歳の時。ミラノに1ヵ月くらい旅行で行っていたんです。現地の友達がリナ先生に師事していて、「今日、レッスンだから聴きに来る?」と言うので喜んでついて行った。

そしたら、ほんとに小さいおばあちゃんが、こ~んなヒールの高い靴履いてるんだけど、その先生の声を聴いてもうびっくり!! まるで黄金の噴水がヒャーッと噴き上がるみたいだった。何これ、って。

当時、僕は日本で行き詰まってました。自分で開拓していく能力がまだ備わってなかったんですね。リナ先生の歌を聴いて、やっぱりイタリアに来なくちゃダメだなと思って。

その時も声は聴いてもらっていて、その後、留学してからは2日か3日おきに先生のところに行って、あと、語学学校へも行ってました。

最初のうち、僕はリナ先生から教わったことがうまくできなかったんだけど、ある時ハッと何かをつかんだんですね。突然わかった。それからはもう溺愛されてすごかったです(笑)。「ミオ・テゾーロ、私の宝物」って。

先生は晩年、ちょっとぼんやりしてしまって、他の弟子のことは全部忘れたようでしたけど、僕のことだけは覚えてて、「お~、シロ!!」って。僕、博昭だけど、イタリア人はhをうまく発音できなくて、シロになるんですね。この先生との出会いは大きかったです。