正月を迎えに

母がこの世を去った数年後、確か28歳あたりで私は初めて実家を出た。そしてじわじわと気がついたのだ。正月は、こちらが迎えにいかないとやってこないことに。

母がいたころ、大晦日と元旦は同じ延長線上には存在しなかった。元日はまるで舞台の初日。31日の夜まで慌ただしさは加速し続ける。翌日からが新年の本番。この緩急こそが年を区切っていた。それを十分承知していたのに、幾ばくかの寂寞(せきばく)と後悔を予感しながら、去年の私は正月を迎えにいかなかった。新しい区切りを自ら設定し、そこに向けて備えることが面倒になったのだ。面倒くさいはすべてに勝つ。

東京に住んでいれば、街に出ても大晦日と元日に大きな違いはない。31日の23時59分と1日の0時0分は同じ色をしている。だからこそ、真人間なら正月は自分で迎えにいかねばならない。

大掃除もせず、おせちもオーダーせず、プライベートの年賀状も書かず、『紅白歌合戦』も『ゆく年くる年』も観ず、年越しそばも食べず、お雑煮も作らず、初詣にも行かずに過ごしていたら、正月は見事に私の前に現れなかった。

拍子抜けするほど、1月1日は昨日の地続きだった。後悔はそれほどなかったが、かすかな寂寞は否めない。


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きのうまでの「普通」を急にアップデートするのは難しいし、ポンコツなわれわれはどうしたって失敗もする。変わらぬ偏見にゲンナリすることも、無力感にさいなまれる夜もあるけれど、「まあ、いいか」と思える強さも身についた。明日の私に勇気をくれる、ごほうびエッセイ。