(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
1997年『海峡の光』で芥川賞を受賞した作家・辻仁成さん。現在はパリとノルマンディを行き来しながら、ミニチュアダックスフンドの愛犬・三四郎と一緒に暮らしています。辻さんは、三四郎と過ごす日々を通して「息子が巣立ち一人になった人間に、子犬が生きる素晴らしさ、笑うこと、幸せを教えてくれた」と考えたそう。今回は、そんな辻さんの著書『犬と生きる』から、一部を抜粋してお届けします。

三四郎のうんちでさえも可愛いと思えるようになった父ちゃんの異変

3月某日、ここのところ、ぼくに大きな異変が起きている。自分でもはっきりとわかるほど、変わってしまったのだ。

ぼくはかなりの神経質で、かっこつけしーだし、とにかくバッチーものが嫌いで、清潔好きで、汚いものとか触れないし、コロナ禍が始まってから徹底した消毒とマスクとソーシャルディスタンスを守り、家にウイルスは絶対あげないをポリシーに、買い物から戻ると買ったものは全部隅々まで消毒していたし、バスのつり革とか絶対握れないし、だからこそ、このフランスで一度もコロナに罹ったこともないのだった。

そんな神経質だったぼくが、三四郎がやって来たこのひと月の間に全くの別人になってしまったのである。

まさか、自分に犬のうんちやおしっこの片付けが出来るとは思わなかった。毎日、ぼくは床に這いつくばって片付けをやっている。ほぼほぼ、一日中である。

変な話だけど、犬を飼ったらそれをやらなければならないこと、それがこんなに一日中続くものだと思ってもいなかったので、三四郎は可愛いけど、げー、また、うんちしたじゃーん、何回する気だよー、と最初の頃は大騒ぎをしていたのだが、ここ最近、ぼくはぜんぜん平気になってしまった。むしろ、逆で、うんちを喜んでいる。この異変はすごい…。

最近のぼくは三四郎がシートの上でおしっこをすると、「まぁ、さんちゃーん、素晴らしい、ブラボー・サンシー。おめでとう命中よ」と大騒ぎしている始末。うんちに関してはもっとすごい。三四郎がしたうんちをトイレットペーパーでつかんで、握ったりして、その硬さをまずチェックしているし…。

時には色やにおい、目視を通して、内容物まで調べているのだ。子犬といえど、うんちは多少臭いのだけど、そのにおいにも慣れてきた。三四郎の部屋に入ると、ぼくの鼻センサーが素早く作動し、くんくん、あ、うんちしたろ、となって探す。そのにおいで、彼の健康状態もだいたいわかるまでになってきた。