向かった先は、市の中心地区にありながら、少しだけ地面が沈んでいる、水害が最もひどかった区域である。家の中に溢れた泥かきはすでに済んでいたものの、電気も水道も止まったまま。
地震で傾いた家の二階で寝泊まりをしながら、木の柱がむき出しになり、まだ建設中かと見紛う一階に大型扇風機を回している元美容院や元居酒屋。その並びに「やぶ新橋」という看板の出ている三階建てのビルがあり、そこのご主人と会った。
「中、見ます?」と促されて店内にお邪魔すると、白い壁沿いの、私の背丈より三十センチほど高い位置に墨で書いたような線が連なっている。
「ここまで水が来たんです」
震災後、ご主人は店を復興しようと銀行に借金をして、広い厨房に新品の大型冷蔵庫や冷凍庫、ガス台と調理台、加えて新たに高齢客のためのエレベーターを設置した。いざ店を再開させようというまさにそのタイミングに大雨に見舞われ、ピカピカだった厨房はあっという間に水に浸かり、大型冷蔵庫はぷかぷか浮いていたという。
「今回のダブル災害の被害が全部で十とすると、震災が一、大雨が九って感じですかね」
そこまで大雨の被害が大きかったとは知らなかった。
報道では他のニュースに紛れて詳細を知ることはできない。現場に来て、直接話してみないとわからないことだらけだ。いっとき鬱状態にも陥ったというご主人が、ここまで語れる元気を取り戻したのだと言われたが、その目は悲しみに満ちていた。話を聞くだけではとうていこの悲しみを埋めることはできないと思い知った。どうしよう……。
とりあえず、また会いに行こう。
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