人生もすべて遊び

たとえば子どもは、生まれながらに自由。でも、学校で社会に関わったり、親のしつけを受けたりすることで、だんだん自由じゃなくなる。僕の場合は、成長が止まったのかな。

そもそも僕にとっては、すべて遊びなんです。絵を描くことも、ご飯食べるのも遊びだし、おしっこするのも遊び。意義とか目的は放棄して、人生そのものをすべて遊びだと思えば楽ですよ。でも多くの大人は、生きることに意味や大義名分をつけたがるから、遊べなくなってしまうんです。

子どもはとことん遊ぶと、飽きますよね。そして飽きると、また違うことがやりたくなる。僕も同じです。だから、自然に画風も変化していく。ここ数年は、難聴や腱鞘炎などハンディキャップも増えてきました。でも僕の場合、「ハンディキャップ? 上等じゃないか」と全部受け入れてしまう。

肉体的な変化が、自然に絵を変えてくれるようになると、だんだん僕が絵を描いているのでなく、「絵が僕に描かせてくれている」という心境にすりかわっていくんです。

腱鞘炎だから、たとえば顔を描こうと思っても手が震えておかしな顔になってしまう。でも、それはそれで、健康な時には描けなかったはずの絵です。それを僕は全部、認めるようにしました。

人間は若かった頃には戻れないんだから、老いと一緒に歩いていけばいいんだけど、みんなどうにかして逆らおうとしている気がします。

『飽きる美学』(著:横尾忠則/実業之日本社)