島の生活を圧倒するような自衛隊の宿舎。沖縄は基地の島から独立すべきであり、本土に住む人間は、結局のところ、日米安保条約や行政協定をなくす方向へ努力すべきと思います。

憲法によって軍隊を持つこと、戦争の手段を捨てることを決めた私たちは、混迷の世界にあって、暗夜の光の役割を果たさなければならないと思います。

私は4年前に自宅で転び、背骨を折りました。その結果、背骨が曲がりました。老人の腰が曲がる姿を痛ましいと思って見ていましたが、まさにあの姿です。

講演などの仕事が入ったときくらいは車椅子を使いますが、普段は杖です。車椅子での遠出には介護タクシーを利用することになりますけれど、気軽に使える価格ではありませんから、どなたにでもお勧めできるものでもないですね。

そういう状況ですから、いまは自分でも本当にのんきな生活を送っていると思います。要介護度は4から1まで下がり、ヘルパーさんと訪問介護の人が週に2日、1時間ずつ見えますが、ヘルパーさんにお願いしているのはシーツの交換やお風呂、トイレのお掃除。

部屋の掃除は自分でやらなきゃほかの誰もしませんので、自分でやります。朝と夜には食事を作り、片づけが億劫だと思えば次の日に回すこともある。非常に気楽なものです。

こうして書斎を見渡すと散らかっていて、ひどいものだとは思うけれど、書くものに関わる資料などは片づけるわけにいきませんからね。

いま書こうと思っているのは、敗戦後、自決した私の叔父一家の話です。戦争がどれほどむごく、戦場に出た兵士だけでなく、その家族すべての幸福を、命を奪ってしまうものなのかを書こうとしていますが、なかなか進みません。

たとえば、そこらに積んであるのは叔父のいた陸軍工兵学校の資料だったりするのね。でも残っていない記録も多くて、まだせいぜい3合目といったところ。山頂まではずいぶんかかりそうです。