世界的名作の多くが蔦重の版元から

浮世絵の過程に、近代の印刷工程との類似点をたくさん発見した私は、すっかり浮世絵の虜になった。やがて世界的名作の多くが、蔦屋重三郎が興した版元・蔦屋耕書堂から刊行されていたことに気づき、がぜん彼に興味が湧いた。

さらに言えば、世界的価値が高いために錦絵に注目されがちだが、蔦重の仕事の中で、実は、錦絵の比重はさほど高くはない。

爆発的ヒットを生み出した歌麿の「美人大首絵」シリーズは、数え42歳を過ぎてからの仕事だ。謎の絵師・写楽を売り出したのは数え45歳の時。

蔦重は数え48歳で亡くなるため、晩年といって差し支えないだろう。

ではそれまで何をしていたか。

朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)や恋川春町らの作家に依頼して、狂歌絵本や黄表紙(イラストが主体のライトノベル。漫画の源流でもある)、洒落本(遊里をテーマに書いた本)などでベストセラーを連発し、ブームを作ったのだ。

吉原で育った孤児が、である。

そう、蔦重は江戸で唯一、幕府に公認された遊郭(遊女を集めた場所)として有名な、吉原で生まれた。